無駄クリエイティブとは
前職は営業をしていたわけですが、田舎くらしをはじめてからたくさんの技術を身につけてきたつもりです。一気に急成長というよりは少しずつ、流れに身を任せながら自分のペースで身につけてきたものたち。
その背景ではいつも<無駄クリエイティブ>が私を支えてくれていました。無駄クリエイティブとは私が勝手に呼んでいる造語です。
ムダ=役に立たない、効果・効用がないこと
クリエイティブ=創造的
誰からも必要とされていないムダなクリエイティビティを独りよがりに発揮して、自己満足を得る、というものです。言葉を並べてみると非常に悲しい気持ちになりかけましたが、いわゆるそういうものです。
無駄クリエイティブを生み出すためには
この無駄クリエイティブ、実は必要なものはそう多くありません。必要なものは『自分の興味と時間だけ』ということ。 軽い気持ちで始めることができるのが最大の魅力です。
自分の興味と時間が許す限り好きなものを創ることができて、誰にも迷惑をかけることがない。むしろ、おもしろがってくれる人が現れたり喜んでくれる人がいてくれたり。
少しだけ共通する点がありそうな記事を少し前に灯台もと暮らしの鳥井さんが書いていました。(恐れ多い)
これまでの経験で、ありがたいことに自分の無駄クリエイティブが『これがあんたの仕事や』と認められることが少なからずありました。依頼を受けて要望を聴いて、見積もりをつくって制作をする、という一般的な流れとは違うかたちですすむ企みはどうしてこんなにおもしろいのか。
『必要とされるもの』をつくるためには認められるレベルの知識や技術も必要になるほか、タイミングやコネクションなど自身の努力で越えることが難しいことも関わって来ます。
しかしながら、『自分がはじめたいもの』は、実現するためにちょっとした技術や知識は必要となりますがそのハードルは低く、自分の満足するレベルでいち早く創作活動に入ることができます。
『仕事にしたいからはじめたこと』、と『はじめてみたいからはじめたこと』では腰の入り方が違います。どちらも同じ興味であるものの、自身の根幹から出てくる『はじめてみたい』の声のボリュームは少し大きめ。
何かをはじめたいならとりあえずはじめてしまえばいい
はじめてみて、うまくいかないならやめてしまえばいい。はじめてみないことにはそれが果たして楽しいことなのかどうかもわかりません。これだけたくさんのものやサービスに溢れているのだから、はじめたり、やめたりすることは当然のことでもっとたくさんのことに触れていいのだと思います。
どうしても仕事が忙しくなると忘れがちな無駄クリエイティブな気持ちですが、自戒を込めて春の年度始めラッシュを乗り切りたい。