出初式の伝統芸能『梯子登り』
梯子乗りの練習が始まるのはクリスマスイブ前後、練習用に立てられた梯子に向き合うといつも問い詰められるような気持ちになります。世間ではボーナス支給に喜び、キラキラとしたイルミネーションを眺めながらディナーを楽しむような浮ついた空気が漂う時期。ふざけんな、こちとら命かけて毎日氷点下で地上6mだぞ。
『今年も覚悟ができたのか』
遠別町にUターンして6年目。その年からはじめたのが出初式で披露する伝統芸能である『梯子乗り』。ノリと勢いではじめた梯子乗りですが、6年にわたり梯子に登り続けるといろいろな感情も湧いてくるものです。
氷点下の夜、仕事を終えた梯子乗りたちが集まり練習をはじめます。気休め程度の安全マットを敷いて、地上6mの梯子を駆け上がる。
厚手の防寒着では演技に危険が伴うため、薄着で登る地上6m。氷点下の気温と降り続ける雪の冷たさたるや。一度の練習で梯子に登れるのは2〜3回程度。寒さもそうですが、心がついていかないのです。毎年梯子に登っているから平気で登れる、なんていうことはなく一回一回の梯子乗りが恐怖心との戦い。
はじめて梯子に乗った時のこと
なんとなく、楽しそうだし、そんな気持ちではじめた梯子乗り。いざその練習初日をむかえた日のことは忘れられません。『梯子くらい簡単にできるんじゃないか』という根拠のない自信を持って梯子に向かい合ったとき。
『覚悟はできているか』
目の前で見る梯子は想像していた以上に高い、手をかけてみる、冷たい、意外と滑る、こんなものに登るのか。一気に恐怖心が全身を駆け巡ります。こんな経験ははじめてのこと。人間の根源的にある高所への『おそれ』の気持ち。寒さからくる震えとともに、恐怖に体が震えます。吐きそうになるくらいの恐怖。あとう◯こも漏らしそうになった。
結局、初日は梯子に登り、梯子の頂上である『灰吹はいふき』から手を離すことができませんでした。
ひとつずつ覚えていく梯子技
寒さと恐怖と戦い続ける日々、少しずつながらできることも増えていきます。遠別町の梯子乗りの中で伝わる、初心者でも比較的臨みやすい技を中心に私が習得した順に技を紹介していきます。
1、膝留め(ひざどめ)
落下している途中に見えるかもしれませんが、片膝を梯子の枠内にキュッとしまい込み、かかとのグリップと膝で重力に逆らう体の全体重を支える技。梯子乗り用語で『技がキマる』といいますが、その『キマる』という感覚が掴みやすい最初に覚えた技。
2、つま留め
膝裏を梯子に立てかけて支点にし、つま先を一段上の梯子に引っ掛けてひっくり返る技。これも『キマった』感覚が掴みやす比較的挑戦しやすい技。
3、肝返り
初心者の最初のハードルとなるであろう肝返り。『え、このまま落ちちゃうじゃんおかしいじゃん』という気持ちでなかなか挑戦する気になれません。実際に慣れてしまうと灰吹に太腿がガッチリとホールドされているので頂上で逆さまになる恐怖心さえクリアすれば誰でも間違いなく成功できる技。
4、腹亀(はらがめ)
これは顎と下腹を灰吹にあずけてバランスをとる『二本腹亀』。これまでの技と違い、確実に『キマる』という感覚がつかみづらく、さらに下腹にかかる体重による痛みとの戦いがつらい。
二本腹亀からくるりと90度回転し、下腹のみでバランスをとる『一本腹亀』。二本腹亀よりさらにバランスが取りづらい上に下腹のみで全体重を支えるため痛みも増す。あまり好きじゃない技。
梯子にチャレンジをした初年度、披露した技は上記5つの技でした。
梯子乗りを6年間続ける理由
はじめたのが27歳のとき、そして6年が経って今は33歳となりました。先述したように、梯子乗りに慣れることはありません。梯子への恐怖が薄まることもなければ、体も寒冷地梯子乗り仕様には変わらない。
毎年新しい技に挑戦しようと考えてはみるものの、いざ練習の場にいくと恐怖心が拭いきれず、現状維持を続けています。
梯子乗り当日、めちゃくちゃ憂鬱な表情ですが本当に憂鬱です。
梯子乗りをし続ける意味って何だろう、そう考えたときに一番最初に思い浮かぶのは『これってなくなっても誰も困らないよな』ということ。どちらかというとやめる理由がすぐに思い浮かびます。33歳にして現在は自分が一番の若手。先輩はもうすぐ40歳に届きそうな年齢にさしかかっており、6年間若手が梯子乗りには入ってきていないという現実がこれからも梯子乗りを続けていく難しさを物語っています。
今年の梯子乗りの様子。苦しそう。
体のキレも少しずつ失われていき、維持していくだけでも大変。傷の治りも遅くなってきたな...。憂鬱。それでも梯子乗りを続けていこうというモチベーションも少しだけあるのです。
遠別神社前、梯子乗りの披露をするときには近くにある幼稚園・保育園の園児が演技を見にきます。
『うぉーーすげーー!』『きゃー落ちるーー!』『すごーーーい!!!』
こどもたちからあがる大きな歓声は梯子乗りにとても大きな勇気を与えてくれます。
老人ホームで梯子乗りの披露をするとき、窓から眺めるおじいちゃんおばあちゃんが笑顔で、たまに拝んだりして眺めています。
梯子に乗り、梯子を支える鳶班(とびはん)から『いよ!!』威勢の良い掛け声が飛んできます。
下腹めちゃめちゃ痛いけど笑ってます。支えられる安心感と掛け声に心地よい安堵を覚えて。
意味がなくても続けていくこと
梯子乗りがなくなったからといって、困る人はほとんどいないでしょう。衣食住に直接関わるわけでもなければ、梯子乗りで生計を立てている人もいない。無理して続ける意味ってほとんどないはず。
それでも地域で行われるひとつの伝統行事がなくなっていくこと。それを『意味がないから』と、やめるのは少しナンセンスに思えてならないのです。
毎年憂鬱になる気持ちはおそらくずっと変わらないだろうけれど、心と体が続く限り梯子に乗り続けていく気概を持ち直し、7年目に向かいます。
梯子乗りを終えて、キンキンに冷えた足袋を脱いだ瞬間。衣装を脱ぎ捨てて、クリスマスからはじまる3週間の梯子乗り呪縛から解放されたあとの缶ビールの美味しさ、この解放感は梯子乗りにしか共感できない最高の瞬間だったりします。
梯子登り終わったら一気に力抜けて解放感。この瞬間の感覚は梯子登りをやるひとしか味わえないだろうな。新年の挨拶を消防団の正装で参加するもののすでにありがたい気持ちで眠りたい。#梯子登り pic.twitter.com/GWvkOBGY7d
— それでもあかるいはらちゃん (@idenxtity0911) 2019年1月7日