今週のお題「秋の気配」
自然と失われること。
積み木遊びで目を輝かせて、小さな公園の遊具で時を忘れるほどはしゃいだこどもの頃。少しずつ経験値を積んでいき体は成長。お酒やカラオケ、色んな夜遊びを覚えた頃から少しずつ感度が鈍っていることに気付く。気付いた時にはちょっとのことでは感情が動かないつまらない人間になってしまう。
空気を読む、裏を読む、見切りをつける、匙を投げる。大人になるにつれて、生きるテクニックを少しずつ身に着けて、言い換えれば自分を守るために様々な逃げ道を勝手に作るようになっていきます。本音と建て前、社交辞令。
そうした生活を送っていくと、剥き出しの感情がどこか見えないところに隠れてしまいます。ほどほどの感動とほどほどの楽しさでほどほどの生活を送っていくことに慣れてしまうのです。まぁ、それでも生きていけます。でも本当にそれでいいんだろか。
伝統芸能【樹遠太鼓】を聴いて。
先日、遠別町の伝統芸能【樹遠太鼓】を聴きました。小さい頃に聴いた太鼓の音はお腹がくすぐったくなるような感じがしてどちらかというと苦手でしたが、大人になってから聴いた太鼓の音は本当に凄かった。耳で聴くというよりも体全体に響く、心を震わす振動でした。感動する映画を見た時、感極まって涙が出そうな時の感覚に近いかもしれませんが、文字通り鼓舞されたような感覚になります。ぶるぶるぶるーっと震えるような。
マンネリ心を物理的に震わせる。
田舎で暮らして1年と半年。楽しい生活は送っていましたが、最近はどこか少しぬるま湯~な感覚を持っていました。気付かないうちにちょっと腑抜けていたようです。思い返すと簡単に、忙しいって言葉を使っていたなーと反省。そんな状態では楽しいこと見つけるのは難しいでしょう。そんな時に聴いた太鼓の一発はガツンと心に響きました。内側から震わせて刺激を与えてくれたような感じです。昨年の7月くらいに遠別町で見た夕日とマジックアワーに心を奪われて色々と吹っ切れて動き出せたことを思い出しました。どんなに意思を強く持っていても、どこかでほつれてしまうことはあって、軌道修正や新たな刺激を受け入れること必要なんだと再認識。
ゆっくり太鼓の音を聴いたのは久しぶりで、ライブに行った時の高揚感に近くそれよりも内側で響く何かがありました。うまい表現がみつかりません。
もし今くすぶっている何かがある人は太鼓の音をゆっくりと生で聴いてみてはいかがでしょうか。具体的な解決策にはならないでしょうけど、良い意味でかき乱してくれると思います。
秋もすぐ終わり、ながく厳しい冬がもうすぐやってきます。その時に備えて蒔ける種は今のうちに蒔いておこう。