2001年にはじまった松本人志の放送室
仕事柄、4時間オーバーの長距離ドライブが必要な機会も多くあります。最近はそんなときに2001年に始まった〈松本人志の放送室〉を聴きながら運転していることが多いのです。すれ違ったとき、爆笑している眼鏡の男がいたらそれがきっと僕。
興味のある方がいたら、非公式/非公認でありながらも充実したファンページがあるのでこちらをご覧下さい。
そんな松本人志の放送室を聴きながらの札幌出張帰り道。その翌日が祖父の26回目の命日でした。
チキンライスと懐かしいものを振り返る
聴いていたのはラジオ放送165回目の回。2004年に松本人志さんが作詞、作曲を槇原敬之さんが担当したチキンライスが発売された時期でした。
チキンライスの歌詞について、高性能な車の残念な話、歌謡曲バーで流れる懐かしい曲、当時の時代を振り返ることについてメインパーソナリティーの松本さん、放送作家の高須さんが話をすすめます。
〈懐かしいもの〉についての会話の中で松本さんが言ったことばが、
「振り返っている分にはええねん。完全にそっち向いちゃだめよ」
ということばでした。放送の中では、完全にスベった空気になってましたが。笑
ただ、祖父の命日の前日というタイムリーな状況の僕にはいろいろ思うところがありました。
このラジオ、ものすごく面白いです。興味ある方はamazonでも売っているので聴いてみてください。
ここから僕の祖父の話になります。
祖父の命日はごちそう
昔から、祖父の月命日には父親の兄弟(3兄弟で僕の父親は次男)が集まってごちそうを食べながらお酒を飲みかわす習慣がありました。遠別町に戻ってくる前はほとんど参加していませんでしたが、戻ってきてからはほぼ毎回参加。
隣町に住んでいる父親の兄の家に祖父、祖母の仏壇が置いてあります。蝋燭に火を灯し、線香をあげ手を合わせて目を閉じる。祖父と祖母のことを少しだけ考える。そんなことを毎月しています。
祖父は私が4歳の運動会の日に工事中の事故で亡くなっています。幼かったためほとんど記憶は残っていませんがなんとなく覚えているのは、
母「じいちゃんは遠いところに行っちゃったんだよ。」
僕「ヘリコプターでも会いにいけないの?」
母「ヘリコプターじゃ会いにいけないんだよ。」
泣いている母とこんな会話を交わしたことを不思議なことに覚えています。
祖父の記憶
うっすらとした記憶をたどると、祖父はよく粉ミルクを湯でといて飲ませてくれていました。そんなに好きな味ではなかったと思うのですが、祖父の家に行くといつも飲まされる。正直、記憶に残っているエピソードはこれくらい。
山奥に住んでいたこと、カメラが趣味だったこと、馬を飼っていたこと、性格がよく人から好かれていたこと、人伝いに聴く祖父の印象が少しずつ自分の記憶になっていきます。
振り返ることで見えること
地元に戻り、家族の近くで生活をすることは過去を振り返りやすい環境だと感じています。自分のルーツである家族や祖父、親族の話を掘り下げて聴くことは自分にとって都会で受ける新しい刺激とはちょっと違う、新しい刺激になっています。うまく表現できませんが。
まだまだ情報は聴き足りないですが、少し照れくさいので聴きづらい。少しずつ、振り返りながらこれからの自分の糧にどうなっていくのか様子をみていきたいなぁと思っています。