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北海道の道北でいなかくらし。スラックライン、地域おこし、田舎暮らし、カメラ、RAW現像、デザイン、イラストについて。

【えんべつむかしがたり】遠別町清川地区、集落に存在した商店と郵便局

集落に存在した商店、郵便局

週末、吹雪に見舞われた遠別町ですが、昨日今日でゆきどけも進み、ベランダに取り付けた雪よけの板を外してほしい、という依頼が協力隊の事務所に入りました。伺った自宅には大きな納屋のようなものがあり、そこは20年以上前に商店を営んでいた場所ということで作業を終えた後、珈琲を頂きながらお話をお伺いしました。

 

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当時の様子を聴かせてくれました

昭和28年。他の町から遠別町の集落に移り住み、小さな家を建て商店を開きました。夫婦2人で切り盛り、決して楽な生活ではなかったけれど人と関わることも多く、少しずつその商店に賑わいが生まれます。


昭和40年。その商店は、その場所になくてはならない場所となりました。簡易郵便局として仕事を行うようになり、よりたくさんの人が集まるようになります。商店という名の小さなコミュニティとして、近所に住む人たちがこの場所でわいわいがやがやと井戸端会議を始めるのです。


近くの小学校で、映画上映や演劇などの小さな催しが行われます。夕方、催しが終わる頃には小学校から商店へと続く道にたくさんの人が押し寄せます。その人影を見つめながら「あぁ、慌ただしくなるわ。」と、笑みを含んだ皮肉を二人で言い合う、その時のことが今でも一番印象に残っている、と元商店のおばあちゃん。


昭和63年。旦那が先立ち、一人でお店の商品管理、配達、郵便局まで行いなんとか踏んばり続けた仕事も続けていくのが困難となり、閉店の決断。それから13年後に、近くの小学校も閉校を迎えます。


小さな商店として、小さな集落の盛衰を見守り、体験した言葉にはたくさんの感情が込められています。年を取るごとに都会への移住を持ちかけられることも増えますが、今もその商店だった場所に一人で住んでいるのは昔の想い出がとても大切でかけがえのないものだから。


もっと、たくさんの想い出や歴史もあるのでしょうがこの時に聴けたのはこれくらいの記憶の断片でした。こういった話をする機会もなく、どんどん忘れていってしまうとのことです。本当に久しぶりにこの話をしたのか、話し終えた後はしばらくぼうっと佇んでいました。

当時の様子を思い出させる品々

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操業時、一番目立つ場所に掲げられた看板は倉庫の片隅で大切に保管されています。町内在住の方に手彫りしてもらったとのこと。

 

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受付の窓枠、目の高さの位置に張られたメモ。「困った時こそ勇気を出そうそこから尊い体験が生まれる」→確かに。

 

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当時は有効に活用されていた金庫。今は、小銭いれとして活用しているのだとか。

 

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今では珍しいそろばん。さらに昔に使われていた5つ玉。4つ玉のそろばんでも慣れないから難しいし、計算機なんてつかえたもんじゃない、5つ玉そろばんが一番使いやすい、と言う。

手前の右側にあるのは電話用のタイマー。今では見かけませんが、当時はまだ全世帯に電話がなかった時代。この地域には3軒しか電話がなく、そのうちの一軒であるここでは3分10円、といった形で電話を貸し出し、このタイマーで時間を計っていたそうです。

 

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一枚板受付机。傷や色褪せ、その他にも様々な物が刻まれた机。今でもこの場所から動かせない。重たいし。と、おばあちゃん。

直接言葉を交わさないと伝わらないもの

町の大きなできごとや歴史なんかは、町史があるので後世に伝えられます。しかし、その場所で生きた何気ない生活の様子や、今では珍しい文化や生活様式が田舎町から少しずつ失われていきます。「ことばを通じてしか引き継ぐことが出来ないもの」を僕なりに出来る方法で残していきたいと思います。


「都会に行っても、ここにいてもなんも変わらない。ひとはたくさんいるけど話すわけでもなし、それなら慣れ親しんだこの場所に居たい。」


今は出番がなくなった看板、立派な一枚板のカウンターテーブル。全てのものに、語りきれない思い出が詰まっています。