inakalife-いなかくらし-

北海道の道北でいなかくらし。スラックライン、地域おこし、田舎暮らし、カメラ、RAW現像、デザイン、イラストについて。

コンプレックスとうまく向き合って生活すること。地方とそこに生きる人が持つコンプレックスについての考察その1。

自分のコンプレックス。

 

※コンプレックスという意味は心的複合体と訳され、実際には劣等コンプレックスのみを表す意味ではないようですが、今回はよく使われる[劣等コンプレックス]という意味で使用します。

 

人は何かしらのコンプレックスを抱いて生活しています。

自分の話をすれば、思い当たるものは色々ありますがその中でも「背が小さい」ということがこどもの頃からのコンプレックス。そんなコンプレックスを克服するために煮干しを山ほど食べたり牛乳をガバガバ飲んだり雑誌の裏に掲載されている身長が伸びる!という怪しい装置に想いを馳せたりしていました。(購入には至っていない)


コンプレックスと向き合う。言葉にするのは簡単ですが、コンプレックスをひっくるめたその自分を「それがいいんです」と納得するのは容易ではありません。

 

例えば、少し肉付きのよい人が自分の体形に対して抱くコンプレックス。

ダイエットをして〇キロ痩せる。一重まぶたへのコンプレックスを整形手術によって二重まぶたに。このような形もコンプレックスを克服する手段の一つですが、「認めて向き合った結果か」といわれると少し疑問が残ります。

《コンプレックスを認めて向き合う》とはどういうことなのか、自分なりに考えてみます。

コンプレックスを「認めて向き合う」

前述したように認めて向き合うことは容易ではありません。ひらきなおるともちょっと違うニュアンス。それがいいんだなぁ、と鼻息荒くせず言えるかどうか。


大人になるにつれてコンプレックスが薄れていくような経験がある方もいるのではないでしょうか。私もそうです。「背が小さい」というコンプレックスも今では自分の強み、まではいかないまでもなんとなく認めてあげられるようになりました。


自分にもお付き合いする異性ができたり、愛の告白をして頂いたり、自分の愛の告白を受け入れて頂いたり、友達になりたいと声をかけてくれる同性がいたり、同性からお付き合いしてほしいといわれたり(!)それは、暗闇の中で悶々と悟りを開いた結果ではなくて、小さな成功体験の積み重ねや人から認めてもらえた経験なんかのおかげなわけで。もうこっそり手頃なシークレットブーツをググったりしなくてもいいんです。

他人とのつながりからコンプレックスと向き合う土台が作られる

自分自身の経験でコンプレックスと向き合い、認めることができたのは自分一人の功績ではなくて無数の人付き合いの中で培われたものです。一人で引きこもっている限りはおそらく向き合うことはできなかったでしょう。


他人とのつながりで向き合う土台を作るにはそれなりの自己承認が必要になるし、コンプレックスを認め、向き合うには他者承認も必要になる。偏った承認欲求だと隠すことに躍起になってしまったり、人に媚びるようなことが多くなってしまう事態も引き起こしかねません。この承認のバランスが大切なのではないでしょうか。

地方のコンプレックスについて。

さて本題です。以前別のエントリーで少しだけ考えたことがあるのですが、地方に生きる人たちが持つコンプレックスについて。

Uターンとしてこの町の地域おこし協力隊として働き始めた当初、「都会で失敗して戻ってきたんか?」とネガティブな言葉を町民の方に声をかけられたことは少なくありません。直接言われずとも、おそらくそう思っていた町民の方も多いんじゃないかなぁ。


それとは別に、『この町には何もないからなぁ』とかUターンやよそから来た人に対してそういうネガテゥブな言葉が出る原因ってなんなんだろうか。今回のコンプレックスの捉え方を踏まえて次回は少し踏み込んでこの本題について考察してみたいと思います。ホントは一気に書き切ろうと思っていましたが眠気に勝てません。今日はこれまで。